29日 7:00起床
彼女のいるベッドを抜けて、そそくさと出発の用意を始める。
もう少しで付き合い始めて半年になるがここ数ヶ月週末は彼女の家にいるという、言わば半同棲である。
休日はバイクに乗ったり一人でぷらぷらしてみたいもんだ。そういう時間もだいぶ減った。まぁ誰かといるのはこんなもんだろう。昔の俺なら考えられない。
(瀧本美織。乾杯)
9時に仙台駅で缶ビールを開け、仙台から大宮に着く。
11:30 大宮
秋田から仙台。仙台から大宮。人の多さに驚く。
秋田は早朝夜間はまだ1桁代であり気温のギャップにも衝撃を受ける。
祖父母の家に着き、軽く談笑。
夕飯まで時間があったので近隣のスパに行き、露天風呂とサウナを往復する。
雪の話をしたり東北の話をしたり、仕事の話をした。18時から夕食が始まり22時過ぎに食器は片付けられた。そして寝た。
30日 8:00起床
朝起きて挨拶をする。午後から実家に帰る予定。性格上屋内にいても特段することがないので、二度寝をしてyoutubeを見て昼を待った。屋内にいる時間があれば外に出たい。
久々の新宿はゴミゴミとしていたがクソ田舎に数ヶ月も暮らしているとうんざりするような人の流れも、社会に属しているような、刺激になっているようなそんな気がした。
ーーーー都会と田舎どっちに住むか
「田舎でのんびり暮らしたい」
幼い頃の自分はそう思っていた。しかし現状としては
1.飲食チェーン店などは車で30分行かないとなく、地元の人がやっているような小さな店は20時ぐらいに閉まる
2.スーパーは21時頃閉まり、それを逃すとコンビニ飯
3.大きな買い物は30分離れた隣街へ。
4.夜がありえん暗い
もっとひどい田舎はもっとあるのだろう。
昼過ぎに実家に着く。
こちらもやはり同じで圧倒的に暇。横になりグダグダしていると夕方になっていた。
どこか出かけようと考えているとオカンが夕飯の買い物に行こうとしたので、車を出して付いていくことに。
幼少期はよく母親に連れられて近所のスーパーに買い物をしていた。
カートに乗ったりして遊んでいたようなそんな年頃。小学生になってからは段々と回数が減り、中学生からは皆無。
今年で26になる息子が今昔と同じようにカートを押している光景。きっと帰省というのはこういうことなのだろう。
夕飯はすき焼きだった。
1日
ラーメンと漫喫に時間を当てた。
5/2 兵庫大阪旅行 1日目
5:30 起床
羽田空港を9:15に出発する飛行機を取ったもんだから朝は早かった。長期休暇をあえて帰省ではなく旅行に当てる論が最近提唱され、今回は兵庫と大阪を選んだ。東日本はほとんど行ってしまったので西日本が今後のメインとなる。
「やっほー」
彼女と合流。俺はいつから野良でなくなったんだろう。飛行機というのは大4の頃の沖縄一人旅以来である。
少し緊張するゲートをくぐ抜け、搭乗口へ。
天気は快晴。
10:30 兵庫空港
兵庫着。兵庫は初上陸だった。
簡単なスケジュール。
1日目 神戸付近
2日目 淡路島~大阪駅
3日目 大阪駅~空港
位置図はこんな感じ。
旅行がしやすい距離だと思う。
一番遠いとされる淡路島-大阪駅でも1時間半なのでわりといい感じだった。
今回思ったこととして寒暖差がえぐい。
秋田では朝方は5℃ぐらいであり、日中は18℃付近まで上がるもののまた1桁台になる。
その感覚で服を用意していたことが裏目に出て、服装はかなり暑かった。
関東では長袖シャツ、関西では半袖でもいいくらいだった。
まずは昼飯を食べに。めずらしく調べて店にいったのだがまさかの定休日であり、急遽近くの定食屋兼居酒屋に行った。
神戸のご飯はイメージ的に味付けが濃いイメージがあった。やはり濃かった。
次はカワサキワールドに。
元々神奈川出身なので川崎重工は川崎の企業だと思っていたのだが、江戸時代の神戸港開港に合わせて造船をメインにしていたらしい。
その派生でバイクを作り始めただけでバイクがメインではないとのこと。
男はやっぱカワサキだと思う。知らんけど。
展示と少しのアトラクションがあった。
バイクの展示がある話を聞いて今回行ったのだが、バイク自体は全体の3割ほどだった気がする。トータル1時間くらいで見終わった。
同じ敷地というか区画のなかにあるというか、神戸で有名?である「BE KOBE」の文字も近くにあるためそこに寄る。
(列というアトラクション化しててわろた)
写真を撮るために列ができていて、前の人の写真を後ろの人が撮るという誰か決めたのか分からないローカルルール。ここら辺が日本人。変に律儀。海外はドイツしか言ったことがないから知らんけど。
俺はせこいので前の人と後ろの人が入れ替わる瞬間に写真を収めた。同じ人が数人いた。
15:00 異人館
(人の家覗くのもなぁ)
ここは普通の3車線道路をちょいと外れると街並みが広がっているイメージ。
横浜にも同じような街並みがなるのでへぇという感想を抱き、飲まないスタバの建物だけを撮って宿に向かった。
16時半ごろ宿に着く。
オーシャンビュー。めちゃくちゃきれいだった。
明石海峡大橋は以前は世界最長?の橋だったらしいが、どこかの国に抜かされて以降2位になっている。
最近は飯がついている宿なのか素泊まりなのかを意識するようになった。
ここは素泊まりなので夕飯は近くで探すことになっていた。
まさかのトリキ。だがこれがいい。
隣駅に電車で向かいトリキに入った。
5/3
今日は淡路島へ。
淡路島には高速を乗らないと入れないため高速に乗る。渋滞に巻き込まれる。
予定よりも30分かかったものの、淡路島の最南端へ。
展望台からは鳴門大橋を見ることができた。
GWは天気には恵まれたのでいい景色だった。
淡路島は玉ねぎが名産品?ということで玉ねぎのオブジェが。
玉ねぎポーズとか言って顔を中心に両手で三角を作るようなポーズはまぬけだと思った。結局やったんだけど。
大人になればなるほどこういうまぬけなことを率先してやった方がいいと思う今日この頃の俺。
次はイングランドの丘。
ここはコアラが見れるらしい。コアラは多摩動物園以来であり、そもそも淡路島で見られるとも思っていなかった。
なんかまぁ俺もそうっちゃそうだけど、多くのスマホを向けられるコアラに少し可哀想という感想を抱いた。
一昔前なんかはガラケーでわざわざ撮っていたのだろうか、やっぱりSNSの普及であろう。
見ることがスマホを通してということに複雑さを持つ。
「よしおぉぉぉおおぉ!!」
あのよしおがたまたまイベントでいた。
よしお自体のルーツは小学4年頃ら辺に小学校でバズったので、それを考えるとほんとデビューから長い年月が経っていると思う。
時間も時間だったので5分ほど見て次に向かった。
国営公園はひたち海浜公園と比べると5/1くらいの大きさだった。
各箇所に花々が咲いていて、特にこれといった感想はなかった。
ひたち海浜公園では海浜と名前が付くだけあって近くが海だし、バスケットコートもあるし、遊園地的なテーマパークもあるのでひたち海浜公園の方がおすすめだと思う。
ロッキンのイメージがあると思うが何もない時に行くのもいい。
淡路の国立から今日の終わりは大阪。位置関係を見ると離れているが実際高速道路に乗ると2時間ぐらいで行けてしまう。今回の兵庫大阪旅行は位置関係で見ても最長で2時間くらい。こう考えると兵庫大阪旅行はコスパがいいのかもしれない。
宿はアパホテル。しかも駅近だから狭いし車がビュンビュン通っているようなところ。
不条理な6車線の人混みを抜けて何十階もある立体駐車場に車を停めた。
アパホテルは確か西日本で最も高いホテルと謳われる、最近できた場所みたいだった。
1フロアに40室?ぐらいありそれが何十階にも連なっている。キラキラとした街だった。
ネオンがキラキラと光り、酔っぱらった人が行き来するような商店街で1軒挟む。
「あぁ、これが大阪」
汚い街と安いビールとつまみ。バチバチに飲むにはいい場所だと思う。
1軒挟んでツレは先に宿に帰らせ、そのあとは日本1周中のダチと集合。
酒を飲んだ。南から始めたコイツの旅ももう近畿地方まで進んでいたらしい。
確信のない確信だけど大人になって仕事の話を語るよりもデカい夢と面白かった馬鹿話を出来るほうが人間として人間らしく、大らかなんじゃないかと思う。人と話して7割は仕事の話というなかで、それ以外で夢中になって話せるものがあるとほんといいと思う。
俺はプライベートで仕事の話が大嫌いだし、適当にヘラヘラしていたい。
ほろ酔いで宿に戻り寝た。日本一周を頑張ってくれとか今更思わない。まぁ怪我無く心身が良好であればなんだっていい。
5/5AM
朝起きた。今日は海遊館に行く予定。
海遊館は世界最大級の水族館らしい。海遊館の特徴としては、1つのバカでかい水槽をぐるぐるらせん状に下ることができ水槽をいろんな角度で見れること。建物自体も結構デカい。
(この水槽まだ続くの…?)そんな気分に陥る。
イメージはセンターオブジアースの下って行くように思える?(下っているのかもしれないが)エレベーターのような不思議な構造って感じ。
次は道頓掘へ。商店街でお好み焼きとたこ焼きを食べた。
味の違いはよく分からなかったけど美味しかった。
道頓堀は夜になると嫌な雰囲気になるだろうなという印象を受ける。大阪は賑わっているもののゴミは散乱しており治安が悪そう。渋谷とはまた違った品のなさがうかがえた。
日の入りに合わせて、日本三大夜景の一つである摩耶山から神戸の街を見下ろした。
函館の夜景と比べると感動は薄かったが、車で行ける利点を考えると悪くなかった。
そのあとはのんびり伊丹空港の宿へ。ここは空港直結で泊まれる宿であり気品が溢れていた。夜の空港。22時までやっている店があったのでそこに入り夕食を済ませる。全て空港でことが足りた。リッチな生活って感じ。
5/6 AM
翌朝起きて飛行機へ。仙台に帰る。
めちゃくちゃなんとなくだけど実家のウエイトと自身のウエイトが釣り合いを失くす頃に大人というか、そんなふうになると思う。直結で仙台に向かった。
仙台に着いてからは、バイク屋に入って新しいバイクの見積もりをお願いした。
Z250を売ってエリミネーター400に買い替える予定。エリミネーターは最近出た車種でアメリカンというスタイル。アメリカンは元々アメリカの一本道を縦横無尽に走るようなイメージ。あんまり多くは書かないがZ250には多くの思い出がある。2年で22000kmという思い出をどうもありがとう。
見積もりを終えて外出て駅前で飲んだ。見積書という大事な書類に対して生年月日が間違えていてあーねという気分だった。車の時といい金が絡むときはもっと慎重になってほしいと思う。
金額だとか乗り方だとかはあまり考えないので即決で買った。考えるのがめんどくさいので。知らないうちに振込50万になっていた。
そのあとは見積もりを持って、焼肉屋へ。
予約していたのにも関わらず店に着くとトラブルでまだ席が空いてないと言われ、外で待つ羽目に。お詫びで3000円のステーキをサービスしてくれた。
5/7 最終日
起床。今日秋田に帰らないといけない。不条理にも雨。
12時付近に雨が一時的に止むらしく、そこに狙いを定めて走り出した。
体調があまり良くない。単純に考えて秋田の夜はまだ12℃ぐらいであるのに、関東で24.5℃、関西は25℃くらいであるなど気温のアップダウンが著しい。体調を崩すのも仕方ないように思える。
雨に打たれながらバイクで高速を走る。
―――――1つだけ最近思うことがある。
人の辛さは他人には分からないということ。同じ経験をしていないと分からない。
今回埼玉に寄ったときに祖父母に冬の生活のことを話した。俺は前にも書いたように雪の中の生活というのが心底嫌で、冬はほんとに意味が分からなかった。クソ田舎で周りに娯楽もなく、40分豪雪のなか走るとようやく街の光が見えるような。
「大変だと思うよ、よくそのなかやったよ」
伊達に歳を取っているだけあって、何気なくぽんと言われた言葉にグッと来てしまった。まぁ祖父母も雪のなか生活したことはないんだけど。
俺は人に何かを相談したことがない。そして相談されたいとも思わない。
相談とは相手に言ってほしい言葉が最初から自分のなかで決まっていて、それを言ってほしいがために行う行為だと思う。もう自分のなかでほぼ完結しているのに、最後に分かってほしい、背中を押してほしいといった他人に委ねるようなことがあまり好きじゃない。そして求めている言葉と違う言葉が相手から返ってきたとしたら、なんとなく裏切られた気分に勝手になるだろうから。
―――――全肯定してあげたいと思う。全部。思ったことが全部正しいと。
俺がもし、他人に何かことを打ち明けられて言えることは確信のない大丈夫だという言葉。
絶対にそれは間違ってないと言う。それが間違っていたとしても。
分かったようなふりをして発した言葉よりも、確信のない全肯定を渡してあげたい。
そんなことを考えながら秋田に着いた。
BGMはHakubiの栞
「あの頃より上手く話せるようになったし 見せたかった景色がたくさんある」