12/4 9:00
仙台から南に向けてバイクを走らせる。目的は特にないけれど千葉の最南端に行く予定だった。今回のルートはこれ。
約走行距離1000kmの3泊4日ツーリング旅。
現場が異動となり、今度は秋田県から職場が福島県になる。それに伴って1週間休みを貰った。
秋田の生活を振り返って見ると無駄ではなかったのかもしれないが、2度と戻りたくないと思う。一年半雪国の生活をしていたが人生で初かというくらいギブアップだった。
仙台から福島へ、そして栃木に入る。
「走行中何してるの?」と聞かれることがたまにある。確かに何してるんだろうな。
ヘルメットを脱ぐのが面倒なので2時間ほどぶっ通しで走っていることがほとんど。ヘルメットに装着しているイヤホンで音楽を聴いているのはもちろんのこと、景色を見たりしているのだろうか。これを書いている今でさえも疑問である。
(あぁ、さみぃ………)
東北から南下すれば徐々にあったかくなるだろうと予想はしていた。が、それでも寒い。特に指先。でも経験上、暑いぐらいに厚着をしていたので良かった。
(あぁ………)
染み渡る。マジ過酷。休日なのになんでこんな過酷な思いをしないといけないんだと相変わらず思う。しかしこの辛さがどこか懐かしかった。
バイクで遠くを走るのも随分久しぶりのこと。空気を切る疾走感と流れていく景色、自由とはこのことだろうとつくづく思う。
最近聴いているシンガーズハイを流しながら高速を走り続ける。
埼玉に差し掛かる頃、ふと祖父母の家に寄るか迷う。「会えるうちに会っておく」そんな言葉が浮び、アポ無しで家に寄ることにした。
秋田にいた総括。やりたいことや見たい景色、会いたい人に会いに行くことは、きっと今この瞬間に行動した方がいい。この瞬間にしか出来ないことが必ずあって、それを逃してしまうときっともう現れないと思う。それは身体的なものも同様として。若さや元気も今だけのものであり、それが数年先同じように生きているのも分からないのだから。だから今きっと思っていることは間違ってないし、行動した方がいい。
家に入れてもらい、1時間ほど小休憩。秋田から福島に異動になったこと。世間話をした。年末年始にまた来ることを約束して再び旅立つ。
どこまでも続くテールランプとヘッドライト。街の灯りが包み込む。暗く寒い空気をバイクと共に駆け抜け、どこか寂しい思いを乗せながら首都高を走る。キラキラと街の光が溢れ、あの光一つ一つに人々の暮らしがあると思うとやはり世界は広い。結婚と現場異動が重なるのはまぁ裁くとしても、将来の方向や生き方はそろそろ固定されてくる。自分の人生の第2幕なのか第3幕なのかは分からないけど気持ちが少し落ち着かずソワソワする。一瞬のことなのかもしれないけど。もう子供ではいられないと思う時もある。
エンジン音でそんな思いをかき消しながら、首都高特有のクネクネした分岐をやり過ごし、海ほたるに着く。
海ほたるに最後に来たのも多分大学の頃だからもう4,5年は経つ。時の流れを感じる。
ここに必ずしも必要だったのか分からないゲーセンを一瞥し、ベンチに座り休憩。
今日は袖ヶ浦の宿に宿泊することにした。
降りた先の三井アウトレットパークで記念撮影をして宿にチェックイン。近くのはま寿司で夕飯を食べ、レサワを飲んで寝た。
5日
今日は10時まで雨。ギリギリまで宿に滞在し、小雨になったところで出発。
そして今日からダチが合流する。例の如くいつものダチ。
日本一周は無事終わったらしい。
「14時に鴨川のマック集合」
この言葉をキーワードに各々集合場所に向かう。
徐々に天候は回復に向かってるものの、空はどんよりしていた。
「うぃーす」
(いや、マジで変わんねぇな………)
どこにいても、何をしていても俺らは俺らだった。
マックを食べながら行き先を決め、次は千葉の最東端である銚子に行くことに。片道3時間、まぁいつも通りだった。
インカムで電話を繋ぎ世間話。そんな時間を刻んでいく。夕暮れが近付き、小雨がぱらついて風が吹き荒れていく。
やはりバイクは過酷だ。乗るものじゃない。絶対車がおすすめである。
犬吠埼に着いた時はもうあたりは真っ暗で、風が強く吹いていた。マジで悪天候。闇の中の先に一点だけ光があってそれが犬吠埼みたいな。
ちなみにはじめてのおつかいでバズったこのお姉さんは犬吠埼のショップの人らしい。
夜はダチが日本一周した時に知り合った人の家に泊まることになっていた。
俺はガチの初対面。新たな世界線に来たような気がした。
家にお邪魔した時にはもう本格的に降り出しており、びしょびしょの手前なのにも関わらず暖かく迎え入れてくれた。
ダチの日本一周の話を通して、やはり世界は広い。けれども方法や手段が不透明かつ、動き出すのに多大なエネルギーを要することから結局は流れに沿って老いていくように思う。
6日
挨拶を終えて出発。天候が良く、青空が広がっていた。
青空は広がっていることに反して気温は低く寒い。冬の空気は透明で繊細できれいだ。その分鋭いような気もする。同じような青空と季節を感じたような気もしたが、どこかを思い出すことは出来なかった。
ぼちぼちと走り出し霞ヶ浦に着く。霞ヶ浦は琵琶湖に次いで日本の湖で大きいとされている。琵琶湖は中学生の頃に見た以来。
見方によれば海にも見える。霞ヶ浦の良いところは外周に合わせて道路が整備されているところ。幅は車一台分であり、サイクリングロードや散歩コースなどに使われているのだろうか。車の立ち入りは禁止されておらず、普通にバイクで入れたし、車ともすれ違った。
湖が海と繋がっている地点は地形的にかなり熱い。何が熱いのかは分からないけど。
そのあとはスーパー銭湯に行った。
一緒にぶらぶらと同じ浴槽に浸かることでもなく、各々が勝手に入って勝手に出ていく感じだった。
ーーーー平日休み。
悪くない響き。現に入っている人は大体が老人でありガラガラ。普通の人は仕事をしている。
その理論で行くと逆に平日街にいる人は、選ばれし人なのかさえ思えてくる。
風呂に隣接された食堂で昼を済ませ、解散。
いつまでもこんな時間が続けばいい。
正直今年は色々なことがあり怒涛の一年だった。
26年生きたなかで一番自身に対する諦めと世間的な圧、老いと時間の流れを感じた一年であった。
生きるしるべを導き出す前に時間が過ぎてしまい、答えを出すのに没頭する時間と自由な時間が足りなかったように思える。
そんななか昔からのダチに会えたのは本当に大きなプラスだった。20代後半だとかそういうカテゴリーに括られることなく、思うように生きることが一番らしさに繋がる走る風を受けながら感じた。
深夜高速。この曲のように生きてて良かったとおもうような日がまた来るんだろうか。
別れた後はずっと北上。以前走った日立の街並みを抜けて懐かしさを感じる。
過去を忘れないように始めたこのブログ。形に残しておいてよかったと思う。
この頃は毎日がキラキラしていてなんでもできるような気がしていた。今はそんな日々を懐かしく思いながらも、当時の気持ちをかき集めてる途中だ。
夜は会社の人の家に泊まった。
俺らの職種は転勤が多くて一期一会が多いんだけど、その中でこの人に会えてほんとよかったと思う。結構気を使ったりすることが多いだけど勝手に家の備品を使ったり、酒を飲んだりした。この空気感がいい。
酒に溺れながらあんま覚えてない話をして、気付いたら寝ていた。
12/7
向こうは仕事なので朝別れ、バイクに跨る。
あるべき場所に俺も帰ることにする。
毎日に夢中になり過ぎて、そこから離れようとしても体力的な面と物理的な面で不可能になっていたんだけども、今回遠くに出てこれて良かった。
毎日にどれだけ客観性を持って離れて生きれるか、そんなことが大事だと思う。
夜は街に出て、のんびりと酒とヤニを吸い夜に没頭した。22時ぐらいにカフェに迎えに来た彼女と家に帰った。
久々のBGM。pk shampooより死がふたりを分かつまで
「住む場所は騒がしい方がいい 疲れたら愛し合わなくても済むように」